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2007年 07月 04日
In the future



今日もギャング撲滅運動に励んでいる変態Lowriderです。


地元のコンビニにたむろしていたギャング団に、ギャング狩りと称して”リボンが汚い”と注意したところ、一瞬にして囲まれてオヤジ狩りに遭いました。


今後もオヤジ狩りを恐れずに、より一層のLowrider環境改善、意味不明のギャング団の一掃の為に戦い続ける所存です。








さて、先日将来のLowriderの行く末について少し触れました。

少々長いですが、ちょっと以下のとあるHPから抜粋した文章を読んでみて下さい。





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奈良県明日香村に所在する壁画古墳高松塚・キトラ古墳の特別史蹟の保存を巡っていま大きな議論を呼んでいる。その経緯について概略を述べておこう。

 わが国で最初に本格的な壁画古墳が検出されたのは1972年3月の高松塚古墳であった。この調査は主として関西大學考古学研究室の諸君の参加があって実施されたことは周知である。

 古墳の墳丘の一部に凝灰岩切石が見えているとの事実を確認して直後の1970(昭和45)年10月21日から4日間、関西大學の学生らが古墳の測量調査をいった。(中略)3月21日横口式石槨内に壁画が描かれていることを確認した。参加学生諸君をはじめ、関係者は感激にひたり、その後現地で作業は冷静に進められた。

 高松塚古墳については当事者として特別な感情を抱いていることは確かである。調査から半年後の11月、「壁画古墳高松塚——中間報告」が出版された。その報告書の序文に関西大學名誉教授であり、高松塚古墳の調査責任者である末永雅雄先生は次の如く記されている。

「調査参加学生の手記を見ると発掘の努力を重ね、これを愛し、調査を続けたが、次第に自分たちから遠ざかってゆく悲しみを書いたものであった。それほどにまで高松塚古墳を愛する感情をもって努力してきたかと驚いた。いまこれを書きながらもなお胸がつまる」

 高松塚古墳の調査についての処置の決断は以下の文章によって知ることができる。

  「日本文化史上に大きな寄与をなした、この偉大な資料を個人的財産とは異なるを考えれば、すべてを挙げて国家処理に移し、保存と調査研究の万全を期して、次代の日本国民に伝えるべきである。いや世界における人類文化史の重要資料の一つとして保存すべきあって、学生の言う通り高松塚古墳は4月5時点をもって、我々からも遠ざかりつつあることを感じる。所員全体のもつ思いも同様である。しかしながら高松塚古墳と言う重要資料を高所よりこれを見、これを考えるとき、我々はここにいさぎよく国へ移し、国は重厚な処置をとって悔いなき方策を立てられることが、最も正しいと私は判断した結果の処理である。」

と所信を披瀝されている。その後文化庁に、「高松塚古墳総合学術調査会」が立ち上げられた。その第一回の現地調査に立ち会わされた先生は、同報告書で「壁画の存在を確認して」という項で次のように記している。

   「昭和47年9月30日10時30分、高松塚古墳の開封が解かれると共に私が半年間安否を懸念しつつけて来た壁画は再び鮮やかな、かつ艶やかな飛鳥人が電灯に照らし出された。(中略)この日をもって高松塚古墳壁画の出現以来、保護・保存を第一とした私の責任は解消された。(中略)特に唯一の法隆寺壁画を人災で失ったわが国における至宝であるこの高松塚古墳を損傷することがあってはならない。(以下略)

 それから約30年が経過した。文化庁が責任をもって高松塚古墳を守ってくれている私たちは思っていた。この間に文化庁は石槨の全面に大きな保存施設もつくった。そして説明板に壁画は保存されていると書いてあった。だから誰もがそう信じていた。

 ところが最近分かったことだが、あの石槨の前の施設は高松塚古墳の壁画を直接守る為に造ったものではないという。内部点検に入る人たちが菌を持ち込まないためであるという説明であり、唖然とした。それだけの施設を作ったのにカビだらけである。キトラ古墳も同様である。防菌のための立派な施設をつくったにも関わらずおびただしいカビの被害が出ているという。

 一体何のために、何の研究をして、そのような施設を作ったのか。若し役立っていないとするならば浪費であろう。

 キトラ古墳やマルコ山古墳の発掘が話題になっていた日の夜、文化庁が出版した「国宝 高松塚古墳壁画」を朝日新聞橿原支局の大脇氏が持参し来訪された壁画の写真について意見を求められた。それを見た途端鳥肌の立つ思いになった。殆ど見る影もなくなった白虎の壁画、30年前のあの鮮やかな姿は色もあせ、形もよく見えないほど劣化している。まさに青天の霹靂である。末永先生はこの壁画の保存について国家にゆだね重厚な処置をとり、悔いなき方策をたてられることを願われて文化庁に移管された筈である。序文の中で「高松塚古墳を損傷するようなことがあってはならない」と強調された。「痛恨の極み」であり、「断腸の思い」でもある。

 発掘以来約30年間、私たちは壁画に関しては一切知らない。何故このようになったのか、その間どのような処理をしたのかも知らない。ただ、新聞やテレビの報道によって見る程度である。

 これに関して一切の責任は文化庁にないといっているらしい。

文化庁の発行した「高松塚古墳壁画」の報告書をみると、その序言のなかに、「文化庁長官 河合 準雄」の名で「幸い30年を経ても壁画は大きな損傷或いは褪色もなく保存されています」と書いてある。

 そして本を開いてみると、褪色して見る影もなくなった写真が何頁にも収録されているではないか。そのような写真を掲載して、どうして30年間何の損傷もなく褪色もなかったといえるのだろうか?


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全てを読んでくれた方はほとんどいないと思います。


別に構いません。


読んでくれた方お疲れ様です。
少々過去の事件ですが、Lowriderとは全く関係の無い分野の考察であり、何故結えにこのような文章を掲載したのか疑問に思われるかと思います。
しかしこれを現在の国内のLowrider環境に当てはめて考えると、意外と全く異なる世界の出来事とは思えなくなってきます。

要約すると、一部の歴史的価値やその重要性を十分に理解している人間が、国にその管理等の権利を受け渡したら、その後数十年で取り返しのつかない事になってしまったという事です。

国というのは、皮肉にもその国民性を現すものです。

現在の国内のLowrider環境は、ファッションの一部として取り入れられている程度のものであると感じざるを得ません。 

たかだか100年ちょっとの自動車史・・・。
Lowriderに於いては半世紀にも満たない生まれたての文化であり、浅い歴史しかありませんが、国内で15年程の時間を経た今、日本でその文化を定着させていくかどうかの瀬戸際に差し掛かっていると勝手に思っています。

カスタムも、全ては走れる車があってこそのカスタムだと思います。

アメリカが全てその価値を見極めているとも思ってはいません。

単純に一人一人の認識をもう少し高いレベルで考えていければと思っているだけです。
こんな偉そうな事を言っている自分が全て正しい方向に向かっているとは思ってはいませんし、そんなつもりもありませんが、捨てられていく車を見る度に、又は最近のその数の多さに底の浅い考えで接していっては取り返しの付かない未来しかやってこないと感じてしまいます。

バッテリーでトランクを埋めるより先に、錆の穴をきちんと埋める事の方が先だと思いますよ。










一般的に外から見る日本は、歴史を大切にしない国。









50年後・・・・・









アメリカ本国にはその形を遺していないが、日本には沢山遺っている・・・・。








遺し続けられる国。









そんな日本になったら、素晴らしいと思いませんか。







In the future_e0097338_18191039.jpg



Keep rollin' . . . .


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by dms74caprice75 | 2007-07-04 19:45 | Column


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